異聞 『出雲国風土記』 9
オロチ退治の神話が風土記にない理由(3)
〔写真・『出雲国風土記』江戸時代の版本〕
私は『出雲国風土記』の末尾に最終筆録者として署名をした「国造帯(かつ)意宇郡大領 外正六位上 勲十二等 出雲臣広島」に注目しています。出雲臣広島の先祖は、すでに前回、意宇郡の熊野大社の稿でふれたように、スサノオが出雲に来る前から意宇氏をなのり、意宇川流域の開拓につとめ、農業神を祀っていた祭祀集団だったようです。その子孫である「出雲臣広島」は、自分の先祖がヤマト系のスサノオではないことを、いちばんよく知っている人物ではないかと思います。この出雲国風土記の完成年月は「天平五年五月(733年)」で、『風土記』を撰進せよという官命が出された和銅六年(713年)からすでに二十年もたっています。和銅五年(712年)には太安萬呂の『古事記』も出ており、そこに書かれたヤマト系の創作された神話のあれこれが、「出雲国造かつ意宇郡大領」の「出雲臣広島」の耳に伝わっていた可能性は大いにあるでしょう。
〔玉造遺跡の竪穴住居〕「出雲臣広島」は自分の出自(先祖)伝承がヤマト勢力から書き換えられたことについて、記紀神話への憤怒の思いがあったようです。「出雲臣広島」が署名した『出雲国風土記』には、スサノオの八股の大蛇退治の神話が載っていないだけではなく、「記紀への歩み寄りが全くみられない」(萩原千鶴「解説」『出雲国風土記』講談社学術文庫)といいます。他の風土記は、天皇の巡行による地名起源を常套的に語るのに対し、『出雲国風土記』にはそれが皆無であり、それに代わって記紀にない神々の巡行や村々に祀られた三百九十九社もの神社の地名を載せるのです。
また、他の風土記は、「昔、 美痲貴(みまき)
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