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続・金印と卑弥呼の話 9

Kinin9 種信の『後漢金印考』は、文化九年(1812)、種信四十七歳のとき、全国の測量で筑前にきた伊能忠敬の所望に応じて啓上したものです。    文章は、志賀島の農夫が島の南辺カナノ浜で発見した経緯からはじまり、金印の寸法、蛇紐、「漢委奴国王」の書体などにふれたあと、「後漢書東夷伝曰、建武中元二年、光武賜以印綬云々と見えたり、此のたび掘出したりし金印は即ち、光武の賜りし印なるべし」 といい、種信が金印を真印と見ていることに、まず注目したいと思います。金印発見の天明四年(1784)以後、偽印説も出ていますが、幕末までの学者の関心は、むしろ印文の「委奴」をどう読むかに集まっていました。種信は「委奴」の読み方を師の本居宣長に従って「イト」と読んではいますが、前漢鏡・後漢鏡を多数出土した糸島郡の古地名、「伊都」「怡土」に結びつけて、音韻論をふまえて、堂々の論陣をはっています。

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歴史」カテゴリの記事

コメント

ドラム館での奥野先生との出会いは衝撃的でした。
素晴らしい知識と紳士でいらっしゃるのが意外でした。奥様の死を嘆いていらっしゃいますが、とてもオモてになるプレイボーイに見えました。早く再婚の相手を見つけましょう?!奥野先生の名声と実力なら女性は寄ってくるはずです。僕の死んだ父など母が生きているうちから、浮気ばかりしていました。それでも取り得はあり、死んだ時には勲五等従五位に当時の総理大臣、小渕恵三さんと天皇陛下に叙勲されました。

投稿: 紅の豚 | 2008年10月 6日 (月) 01時58分

すごく失礼な内容のコメント。
なぜ再婚をしないといけないのか。
奥様にも失礼。

投稿: 通りがかり | 2008年10月 6日 (月) 16時43分

通りがかりさんへ。
大変に失礼しました。
奥野先生が奥様を亡くされ、寂しそうなので、恋をしましょう!などと僕が言ったのに端を発しています。
余計なお世話でした。ごめんなさいね!

投稿: 紅の豚 | 2008年10月 6日 (月) 21時17分

通りががりさんへ。
僕が何故、奥野先生に恋をしましょう!というメールを送ったのか?しばし僕の独白を赦してください。
僕には38歳の時に彼女がいました。でも彼女は僕が付き合いだしてから、一ヶ月もしないうちに悪性の癌が発見されました。子宮癌でした。彼女は子宮を摘出してしまい、余命二年を宣告されていたのです。僕はどんな最悪の形になろうとも、彼女を支えていこうと思っていました。ところが僕が活動が忙しく三日電話連絡が取れないうちに、彼女は子宮癌を苦に自殺してしまったのです。のた打ち回るほどの苦しみが僕を襲いました。彼女は最後にプロテスタント・キリスト教に救いを求めていましたから、僕には信じられないキリスト教にいまだに通っています。彼女に対する弔いと僕が男として一生背負っていかなければならない十字架であると思っていました。そんな僕にも自然な成り行きで新しい彼女ができました。亡くなった方を思うのは大切なことです。その間に父が死に母にも死なれて僕は天涯孤独の独り暮らしです。でもいくら亡くなった人々のことを思っても、帰ってくることはないのです。人間の人生は死の直前まで出会いがあり、可能性があります。奥野先生にもまだ人生の出会いがあると思うのです。多くの仲間が死んでいきました。それでも僕は明日に知り合う人との出会いをしんじるし、奥野先生も奥様に亡くなられて最後だとは僕は思わないのです。茶のみ友達でも何でもいい!自分の素晴らしい人生を奥野先生にも満喫してもらいたいという発言でした。これは、奥野先生にも読んでいただきたいし、かおり先生にも伝えていただきたいことです。
かおり先生には以前の彼女を最悪の形で失っているとメールしています。
先生!人生はこれからです。
最後の最後まで自分の人生は素敵だった!と思い僕は死んでいくのが理想です。
失礼しました。
無作法をお赦しくださいね。
紅の豚拝より。

投稿: 紅の豚 | 2008年10月 7日 (火) 03時42分

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